「初等科理科」にみる探究姿勢

戦時中教科書の復刻版

株式会社ハート出版は最近、戦時中の日本の教科書を複数復刻出版しています。そのうちの一つ、話題の『初等科理科』を手に取りました。出版社によって書かれた概要から、これはまさに探究だと感じたからです。

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この授業の基本理念は、科学は自然を征服するためのものではなく、自然と和するためのものである、というもので、日本人的な自然観が根底にあった。その指導目標は「自然に親しみ自然から直接学ぶ態度を養う」「動植物を育てることで生命愛育の念を育む」「玩具等の工作を通じて創意工夫の態度を養う」などである。

それ以前の理科教科書は無味乾燥な図鑑的知識の羅列であったが、それが本教科書によって革命的に変化した。栽培や飼育、工作などの具体的な作業が中心となり、「しらべてみなさい」「どうしてでしょう」と児童に問いかけ、考えさせるものとなっている。答えは児童が導き出すものであり、教科書にほとんど答えは書かれていない。

自ら工夫して発見し、製作し、解決したという経験は、児童に喜びをもたらし、次の解決・発見・創造を求める原動力となる。そのような自己成長の芽を育てることが、初等科理科の狙いであった。

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戦時中の教科書というと、その後の占領下の暫定教科書で墨塗されたことが連想されます。その点については「他の教科書と同様一部墨塗が行われたが、軍国主義的な記述は限定的で、占領下の暫定教科書もほぼそのままの内容で発行された」とあり、故に「戦後の理科教育の土台となり、科学技術立国日本の礎となる画期的なものであった」と記述されています。ますます興味をそそられました。

【参照】[復刻版]初等科理科(ハート出版)

本文目次

この本は、第四学年向けの初等科理科一から、第六学年向けの初等科理科三までの三冊の合本です。教科書ですから、本文は当然、児童が読むために書かれています。一は、1 イモの植えつけ、2 兎のせわから、24 春の天気まで続いており、出版社の概要に書かれた「栽培や飼育、工作などの具体的な作業が中心」は、その通りです。二も1 鶏のせわ、5 写真機と、飼育、工作が続き、8 夏の衛生、15 甘酒とアルコールでは、夏と冬のカビに着目します。最後は、16 私たちの研究で、「いろいろなおもしろい理科の勉強をして来た。こんどは、自分で調べたい問題を考えてみよう」として、問題の例を挙げています。さらに「六年生になったら、新しい理科を勉強する間に、自分で研究したい問題を見つけるようにしよう」と、まさに探究を呼びかけます。三は、1 アサとワタに続いて、2 山と水、4 砂と石があり、12 電信機と電鈴、13 電動機、14 たこと飛行機へと、分野別では地学、物理、工学にまで幅広く網羅している様子が見られます。そして、最後は二と同様、15 私たちの研究です。初等科の最終学年では、この15は[2]私たちの夢へと続きます。[1]私たちの研究が出来上がった六人の児童から、「海の底を探検してみたい」「虫のつかないような薬で染めた毛糸を作りたい」など、めいめいの持っている夢を聞き、それを受ける形で「どの夢を実現しようと思っても、理科の勉強が大切である」と、締め括っています。

教師用副読本等に書かれていたこと

以下、巻末の解説からそのままの抜き出しで、教師への指示・助言内容などを紹介します。

・『初等科理科』では、教育の目的として、「ものごとを正しく見、正しく考へ、正しく扱」うことだとされています。そうすることで、物事を道理に適った見方で見ることができ、それを元として創造的な生活をなし、ひいては将来的に日本全体の発展になると文部省は考えていた

・『初等科理科』の教師用の副読本には、理科の教育のことを、「まことの心に基づかなくてはならない」と書かれています。単に合理的、理性的に学ぶのではなく、子供達の情味豊かな、且つ熱意の籠った精神も培い、他の教科で学んだ知識や技能と深く連携させたいと考えていた

・教師用副読本では、理科の教科書に出てくる名称や法則に関して、「単なる知識として注入せられるのであっては、殆ど役に立たない」「結局は、その効果が生活の上に現れるようにならなくてはならない。日常生活の実践指導に最善の努力を払うべきである」とある

・(指導目標では、)「生物愛育の念も、天地の化育創造に参ずる喜びに基づく。日常生活を秩序正しくし、これを発展させるのも、つまりは新たな生活の創造に外ならない。科学の発展の道は創造の道である。創造することに喜びを感ずる心を養うことは、理科指導の積極的な最大の要諦である。発見・創造は、その場その場の思いつきで出来るものではない。うまずたゆまず努め、失敗してはその経験に省み、新な工夫考案をするのでなくては成功を期し得ない。このような持久的態度を養うことに努むべきである」

「探究」の取り込み実現へ

上記から見えてくることは、『初等科理科』が主に重視していたのが、自然との共生、主体的な学び、実体験を通した体感、試行錯誤の繰り返し、実生活の場での知識の実践・活用・応用だったことです。

文部省が著作権所有・発行者となった『初等科理科』の教科書は1942年から1943年にかけて世に出ました。それから80年。掲げられた理念は今もまったく色褪せていません。裏を返せば、色褪せないのは、今まだその理念を実現できていないからともいえます。近年、総合や探究という言葉を益々大きく訴えることになっていることが、まさにその証左といえるでしょう。現在、小学校から高等学校まで探究に真摯に取り組もうとしています。しかし、探究学習アドバイザーへの学校からの要望を聞く中では、探究を他の科目と分け、何か別なモノ・コトとして捉えようとしているかのような教育現場もあるように感じます。探究は、「探究の時間」にだけ行えばよいものではありません。学校や家庭での生活のあらゆる場面で、当たり前に取り入れられるべき思考であり姿勢です。

「理科」の意味

今回のことをきっかけに、改めて、理科という科目名の語源を調べてみようとしました。結論からいうと、私の調べた範囲では、どうやら「はっきりしていないらしい」ということでした。理という漢字の意味は、物事の筋道、条理、道理であり、また、わけ、理由です。そう考えれば、理科が取り扱う範囲は、いわゆるサイエンス(科学、自然科学)だけに限らなくてよいのかもしれません。また、『初等科理科』が、他の教科で学んだ知識や技能と深く連携させたいと考えていたことは前述の通りです。

探究視線は、あらゆるものに向けていけるもの、向けるべきものです。

10歳からわかる「まとめ」

・戦前の教科書『初等科理科』に既に、探究の大切さの訴えと実践が組み込まれていた

・さらに、理科の学習の中に、他の教科で学んだ知識や技能と深く連携させたいと考えていたこともうかがえる

・探究は「探究の時間」にだけ行えばよいものではない。学校や家庭での生活のあらゆる場面であらゆるものに対し、当然に取るべき姿勢であり、向けるべき視線であり、取り入れるべき思考であ

第81回「探究テーマ分野専門家の助言、その前に」を読む