高大連携の真の意味

高校側からのリクエスト

探究で高校と大学の連携を模索するというと、高校側の期待は、高校生が取り組んでいる探究テーマについての専門家・研究者の紹介であったり、高校で実施する探究発表会に来校の上、大学教員から講評をもらいたいということであったり、特に地方の高校からの要請は、そのようなことが多いようです。学校同士が提携校の関係にある場合には、高校生が大学教員や大学生と一緒になって、本格的に共同探究・研究を行なう場合もあります。

学校単位という枠を外せば、大学が用意したプログラムに高校生が個人で参加する形式での「高大連携」も見られます。上智大学の例を下記に示します。

【参照】 せかい探究部 上智大学

連続した学び

上記「せかい探究部」の特徴には、次のような点が挙げられています。

・高校生の「高揚感 – わくわく感」に満ちた探究・リサーチを、大学ベースの研究教育のリソースやグローバルネットワークを活用しながら深めていく

・問いの設定から調査・分析、論文執筆まで、探究活動の一連のプロセスを体験し、各自が設定したトピックをじっくり追究しながら、興味や知識を広げると共に学びを組み立てる力を伸ばす

・世界とつながるきっかけの場として、大学やその先に繋がる「自分なりの学び方」をつかむ

総合すると、高校生時代の学びが、大学・大学院やその先までの学びに連続するよう、高校生にチャンスとツール(知恵や、探究の型・作法)を与えた上で、彼らの学びに対する態度を刺激し鍛えようとしているといえるでしょう。受験先候補として選ばれたいという気持ちが大学側に全くないはずはありませんが、そんなことよりも、高校までの初等・中等教育での学びを、大学受験のためにやらざるを得ないと感じながら行う一過性の学びとしてではなく、大学以降の高等教育やその後の職業人・社会人としての生活にまで連続した「生涯続く学び」として活用できるようにすることに力点が置かれています。高校の科目として取り組む探究については、それをそのまま大学での研究に引き継ぐ生徒もいれば、そうでない生徒もいます。その点で、「せかい探究部」は、高校在学中に本格的に探究をスタートするところまでもっていこうとしているといえるでしょう。

ところで、「連続した学び」は探究科目においてだけ目指せるものかといえば、そうではありません。英数国理社の教科科目ももちろん連続させられます。ただ、大学受験を契機として、そこでいわゆる5教科の学びに一区切りを付ける人が多いだけです。もちろん、学校で教えるにあたっての「範囲」があることも影響しているでしょう。いわゆる「勉強」以外では、課外活動でも連続を期待できます。スポーツ選手の中には、学校での部活を通して技を磨き、体力をつけ、そのままプロ選手となり、引退後は指導者としての研鑽を積んで後進の育成まで務め上げるという人生を送る人がいます。その人にとっては部活での経験がその後にも大きな影響を与え、まさに連続していたわけです。また、学校での委員会活動や生徒会活動がきっかけとなり、途中、弁論部などの部活でも自身を鍛えながら、政治家や社会活動家の道に進むという人もいることでしょう。

学ぶことを学ぶ

初等中等教育の間に必要なのは「学ぶことを学ぶ」学びです。「自分なりの学び方」「自分に合った学び方」に気づくことです。それがわかっていると、大学以降、一人でも学びを継続させることができるからです。高大連携というと、大学と高校という組織同士の繋がりを連想しがちかもしれませんが、それよりも、真に連携すべきは、学ぶという行為そのものや、学ぶ内容・コンテンツのこと、その連続性の方なのです。

今から40年ほど前、私の大学時代は、「大学生活はモラトリアム」と呼ばれていました。社会に出るまでの猶予期間ということで、学業よりも、しっかり「遊ぶ」ことが重視されました。就職すると様々な会社の規則に縛られるため、大学生時代に、より自由な立場で社会に慣れておけという風潮でした。大学生はアルバイトやサークル活動に励みました。企業の側はそれがよくわかっているため、大卒の新入社員は入社後に自社で一から教育しなくてはならないと考えていました。企業教育では、その企業独特のやり方が教え込まれました。極端にいえば、しばらくすると、社員はその企業でしか通用しない人間に仕込まれていました。結果的に人材の流動がほぼ起こらない日本独特の「終身雇用」が完成しました。各社がそれぞれ競争力を持ち、各社併存・共存が成り立っていた時代は平和でした。「一億総中流」と呼ばれ、何故か皆が「自分は中の上」だと感じていた時代に、大きな将来不安を感じることはありませんでした。従来通りのやり方が、多少先までも通用していたからです。学びのアップデートは、さほど必要ではありませんでした。

それが今や、変化の激しい時代と呼ばれます。今まで通りのやり方では通用しないことが多く見つかる時代になりました。今まで起こらなかったことが起こる時代になりました。人は、常に学び続けなくてはならないことになりました。同じことをやり続けるのではなく、常に、より今の状況に合う、新しいやり方を探し続けなくてはならない状況に置かれることになったのです。

10歳からわかる「まとめ」

・高大連携は、単に、高校と大学という組織同士の連携協力のことを指すのではない。高校生が大学やその後の人生においても連続した学びを続けること、そのために両者での学びの内容が連携している必要があることを指している

・変化の激しい時代においては、今まで通りのやり方は通用せず、人は、常に学び続けなくてはならない。同じことをやり続けるのではなく、常に、より今の状況に合う、新しいやり方を探し続けなくてはならない

・したがって、初等中等教育の間に必要なのは「学ぶことを学ぶ」学びである。早いうちから、「自分なりの学び方」「自分に合った学び方」に気づくことが大切

第91回「情報の整理・分析・まとめ」を読む