「総合」「探究」は何のため

文部科学省の説明

学習指導を受ける側の当事者でありながら、中学生や高校生が学習指導要領を見る機会はあまりないと思います。「総合」「探究」に関する文部科学省の説明は以下のとおりです。

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総合的な学習(探究)の時間は、変化の激しい社会に対応して、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標にしていることから、これからの時代においてますます重要な役割を果たすものである。

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分解するとこうなるでしょうか。

目標: 自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成し、子ども達が変化の激しい社会にも対応できるようにすること

手段: 探究的な見方・考え方を働かせる科目横断的・総合的な学習を通して、よりよく課題を解決したという経験を積み重ねること

【参照】 文部科学省 総合的な学習(探究)の時間

探究的な見方・考え方

上記で、働かせることを求められている「探究的な見方・考え方」については、Google検索で神奈川県の説明が最初に挙がってきましたので、それを記します。

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探究的な見方・考え方とは各教科等における見方・考え方を総合的に活用して、広範な事象を多様な角度から俯瞰して捉え、実社会・実生活の課題を探究し、自己の生き方を問い続けること。

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【参照】 神奈川県 第4章 総合的な学習の時間

これを上の文科省の文章に入れ込んでも、なんだか説明がぐるぐるまわるだけのようですね。

探究に最も大切なこと

探究の辞書的な意味は、小学館のデジタル大辞泉によれば下記の通りです。

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物事の意義・本質などをさぐって見きわめようとすること。「真理の探究」「生命の神秘を探究する」。類語に、追及、研鑽。関連語に、講究、考究、攻究。

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探究学習の探究は、アメリカの哲学者・ジョン デューイが使用したinquiryという語の訳語だと言われています。このinquiryに対する私の個人的な語感は、企業のホームページなどでよく目にする「問い合わせ」、すなわちcontact usと同義ですが、確かに、調査や探究という「(より深い意味での)問い」もあります。

探究学習で大切なのは、それが、自らの問いに基づく学習(inquiry-based learning)であるかどうかということです。自身が興味・関心を抱く世の中の問題・課題を見つけ、それに対しての解決策を自ら立案して解決に向けて行動することにこそ、探究学習の主眼が置かれています。その訓練や経験が充分に積まれていれば、先を読むことがますます難しくなるVUCAの時代においても、子ども達はしっかり前を向いて進んで行くことができるだろうというわけです。

話は逸れますが、もう一つの「探求」についても触れておきましょう。こちらは、文字通り「探し求める」、英語ではquestです。ドラゴン(竜王にさらわれた姫?)を探し出す旅がdragon questでした。

「問いに基づく」が必要なもう一つの理由

前々回「カラーバス効果」について非常に簡単に触れました。その名称について懐疑的な取り上げ方をしましたが、脳が効率的に情報を選択していることは以前から知られています。

【参照】 第33回「『対話』を介したエビデンス固め」

【参照】 「効率的選択」で脳は注意を向け集中を高める(理研)

自分が立てた「問い」なら、普段からそれを気に留めながら生活するでしょう。そうしていると、関連する情報に触れた際、それを見過ごさない、それにしっかり気づく可能性がより高くなるといえます。受け身でいるより常に能動的・積極的・主体的でいたいものです。そのためにも、普段から「疑問」を持つようにしましょう。目の前の物事を当たり前と思わず、「そもそもここが間違っているのでは」と懐疑的(critical)に見つめる目のことです。これがcritical thinkingです。

問い・問題の色々

課題に基づく学習のことをproblem-based learningと言います。略語のPBLには、もう一つproject-based learningもあります。こちらは(課題解決に向けて)プロジェクトを組み、その活動を通して学んでいくということですから、やっていること自体は結局似てくる場合が多いでしょう。

さて、日本語の「問題」に対する英語としては、problemとquestionが思い浮かぶでしょうか。その違いについて「英語の違い図鑑」からの引用図で見ていきましょう。

まず、questionはquizと似ていて正解のある問題のことです。図では2 x 3が問われていますから正しい(correctな)回答は6で、両者を足した答えである5は間違いということになります。一方、problemは解決法が様々に考えらえる問題のことを指します。図では行く手を阻む倒木が問題で、向こう側に辿り着かなければならないという課題の解決策が例として3つ示されています。どれも解決に繋がり(right)そうです。どの方法が最も手間がかからないか、最も安くできるか、最も早いか等を比較検討し、選択することになるでしょう。

探究で行うのは、取り組みたい問題の本質・原因を見極め、解決策を考案し、それを実行に移し、実行への反応を見て、解決策案を改善し続けることです。

ちなみに、解決法がすぐには浮かばないような「問題」はtroubleに該当します。

問題と課題の違いは次のように説明できます。問題(= あるべき姿と現状とのギャップ)の解決に向け具体的に取り組まなければならないことが課題です。「しなければならない」という言葉と相性が良いのが課題です。例を挙げれば、「少子高齢化」は社会問題。その問題の解決法の一つである「出生率向上」は達成「しなければならない」課題です。

自身の「在り方」、課題の「発見」

平成30年告示の高等学校学習指導要領解説の中で、総合的な学習の時間との対比で、総合的な探究の時間について、次のような説明がなされました。

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探究の見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、自己の在り方生き方を考えながら、よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。(以下、省略)

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自己については「在り方」、課題については「発見」いう文言が加わっています。両者の違いは下図の通りです。在り方は(doingに対する)beingですから、Well-beingを意識したのでしょうか。

一方、課題への取り組みについては、課題を発見するところから始めるのかどうかは大きな違いになります。解決の前に、まずは自身で課題を発見しろということですが、これは何を発見するのかと言えば「まだ絶対的な解決法が見つかっていない課題」を指します。解決法が既に明快な事象を探究しようとしても調べ学習の段階でおよそ全てがわかってしまいます。それでは探究になりません

解決法が見つかっていないことの中から探す

多くの高校生は探究のテーマが見つからないと悩んでいるようです。周りからのアドバイスには、「自分がわくわくする興味・関心をテーマにしてはどうか」「自分が考える未来のきらきらした世界はどんなもので、それを実現する方法を考えてみては」「自分だったらこうするのにというもやもやをテーマにしては」等があったでしょうか。そこに、「世の中でまだ解決されていない問題・課題を列挙し、その中から自分の興味・関心を惹くものを選ぶ」というやり方を加えてみてください。誰もやっていないことへの挑戦が好きで、挑戦することにめらめら闘志が湧いてくるという人にはうってつけです。

その際、どんな問題が未解決なのかを生成AIに聞いてみるのも悪くないと思います。ちなみに私が、いつもの相棒ChatGPT4氏に聞いてみたところ、次が挙げられました。1. 気候変動、2. エネルギー資源の持続可能性、3. 世界的な貧困と格差、4. 感染症の流行、5. 食料安全保障、6. 教育へのアクセス、7. 環境破壊と生物多様性の喪失、です。興味を惹かれるものはあるでしょうか。もちろん、このままではテーマが大きすぎます。もう少し、生成AIと「壁打ち」を続けてみると、自分でも取り組めそうな大きさにまで絞り込むことができるでしょう。是非やってみてください。探究アドバイザーが近くにいる場合は、その方々が壁打ちの相手になってくれるはずです。

10歳からわかる「まとめ」

・探究に取り組むのは、自己の在り方・生き方を考えるための力をつけるため。将来、予期せぬ様々な問題にぶつかった時、「自分はどうありたい、どう生きたい」がはっきりしていれば、それを頼りに進む方向を決めることができる

・探究学習に大切なのは、学習が、自らの問い・疑問に基づくものであること

・探究は答えのない問題を解くものではない。むしろ、正解がたった一つではなく、反対に様々に答えがありうる問題を解くのだと捉えるのが正しい。多くの解決策がある中で、さらに自分のオリジナル案を加えることもしながら、何を選ぶ、なぜ選ぶをしっかり判断できる力をつけることが「探究」の目的

・探究のテーマ設定にあたっては、「まだ絶対的な解決策が見つかっていない問題を探しに行き、その中で興味を惹かれるものに取り組む」という方法もある

以下、余談です。

新型コロナ禍の教訓

高校で正式なカリキュラムとして探究が導入されたのは2022年4月です。その直前の2年間以上にわたり、人類は新型コロナ禍の不気味さに悩まされ続けました。原因も解決策もわからない中で、地球上のあらゆる場所であまりにも多くの命が奪われました。現在もその恐怖が払拭されたとは言えず、いまだ後遺症に苦しんでいる人も大勢います。このような未知の出来事に立ち向かわなくてはならない場面は、残念ながら、今後、尚一層増えてきそうです。そのような時、私たちに求められる力の一つが、萎えずに諦めずに立ち向かい続けようとする力であることは間違いないでしょう。病気の原因を突き止め治療を施したり予防策を講じたりすることは医者や研究者にしかできないかもしれません。しかし、一般の人もそれぞれの立場でそれぞれに出来ることを考え行動することはできます。また、それが求められます。探究の時間はその練習を積むためにあると考えてみてはどうでしょう。幸いなことに、学生の特権は安心して失敗できること。失敗の中からしか学べないこともあるのですから、この時間を大切に有効にどんどん使うべきです。

そう言えば、ここ2-3年関わってきた探究学習の中で、新型コロナを真正面から取り上げたテーマのものには私は出会いませんでした。今から取り組んでみてもいいかもしれませんね。

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