探究テーマ分野専門家の助言、その前に

専門家を呼びたくなる前に

小中学校で総合学習のサポートをしている際にはほとんど耳にしないものの、高校に行くと急に持ちかけられる相談があります。「何々分野の専門家から生徒に話をしてもらいたいと思っているのだが」や、「ウチの学校の生徒をサポートしてくれる専門家グループを独自に組織したいのだが」というものです。後者は、OB/OGが様々な分野で活躍している、いわゆる進学校の校長あたりからよく話が出ます。確かに、高校生にもなれば、探究テーマがより専門的になる場合もあるでしょう。ただ、実際に少し話を聞いてみると、「まだ、わざわざ専門家にご登場願って、この個別案件に対して相談に乗ってもらうという段階ではなさそうだ」「ある問題に対しての一般的な理解を深めたいということなら、専門書や論文を読んでみようとするのが先だろう」などと感じてしまうことがほとんどです。「ここまで一人でやってみたのだが、壁にぶつかってしまった。周りに相談してみたが、どうも良い解決策が見つからない」というところまで進んでいれば、喜んでその道の専門家など、より詳しい人を探してみたいとも思いますが、どうやら、そこまででもありません。

実は、「これは自分では話に付いて行けそうにないと認めるテーマ」に出くわしたことは何度もあります。数学のある理論に関する研究のような内容などです。ただ、それらの生徒から助言を求められたことはありません。なぜなら、生徒自ら、どう進めたらよいかわかっているからです。自分で前々から探究したいと考えていたテーマをしっかり持つ生徒の場合、学校の探究の時間以外で、もう既にスタートを切っています。どのように進めたら良いか、誰に相談すべきか、誰がその分野のトップリーダーかというような情報は既に持ち合わせていて、自分で、さっさと先へ先へと進んでいます。こちらが思っているより、高校生はもう「大人」です。もっとも、高校在学中に18歳となり選挙権を有することになるわけですから、その頃には大人になっていてもらわなくては困るともいえます。

大人に向かう過程にある子達には探究にじっくり取り組んでもらいたいものです。それは、探究が、ちゃんと調べた上で考え、自分の意見をしっかり持つのに良い訓練となるからです。自分で考える前に半ば諦め、面倒だから誰かに教えてもらおう、せっかくなら専門家を紹介してもらって、その人から話を聞きたいというのは随分と身勝手な話です。周りの大人も、それを助長してしまうような「おせっかい行動」は慎むべきです。大抵のことであれば、その道のプロを高校生が自ら探し出すことは、このインターネット時代にはさほど難しいことではありません。本当に助言を求めたいなら、自ら丁寧にその人にアプローチするはずです。正しい手順を取らない不躾な依頼で相手から拒絶されてしまうなら、それも貴重な経験でしょう。大人の余計な段取りは、その機会を奪っているだけなのです。

引いてしまっている大人達

専門家の助けを借りなくてはと、いわば「早とちり」をする周りの大人に共通しているのは、その生徒の話をしっかり聞いていないことです。生徒が出して来たテーマ名だけを見て、「難しい内容に取り組もうとしているなぁ」と腰が引けてしまっています。最近は、インターネットでの検索が日常的に使用されています。高校生なら、論文検索までも活用していることでしょう。中には、誰か他人の論文タイトルをそのままそっくり拝借してくるようなズル賢い子もいるかもしれません。

ビビリは禁物です。そのビビリが起こる原因の多くは、その大人が自身で探究をしたことがないと思い込んでいることにありそうです。実際は、その人も、仕事や日常生活で何らかの探究や実験や創意工夫を凝らしたことがあります。それがどんなことであったとしても、その経験を振り返れば、探究のどのあたりで生徒が躓きそうか自然に想像できるはずです。これは、先生が数学や英語といった自身の担当教科で、まさに日々経験していることと何ら変わりがありません。

専門家に頼ることを思い浮かべる前に、大人にはまず自分でしっかり生徒の取り組みを受け止める態度をとってもらいたいと思います。とはいえ、担任の先生一人がクラスの生徒40人全員と一人ひとり向き合うのは物理的に難しいでしょう。副担任の先生や外部の人達と手分けできるようであれば手分けして取り組みましょう。まずは生徒がどのように進めようとしているか、本人の計画を聞いてみます。内容そのものではなく、どう取り組もうとしているかの計画の部分などであれば、「素人の大人」にも口を挟めることが必ずあります。生徒の話を聞いて、話の筋が通らないような部分に気付くこともあるでしょう。人間誰しも、自分がそう出来ているかどうかは疑わしいことも、他人のことであれば、ミスやおかしな点によく気づくものです。

小学校の先生にはビビリがいない

小学校の先生から「専門家の紹介リクエスト」が届くことはほぼありません。むしろ、私の方から、(栽培方法などについて)「ここはプロの農家の方からアドバイスをもらいましょう」と提案することの方が多いくらいです。小学校の先生には、まずは自分でやってみるという習慣が身に付いた人が多いと感じます。小学生くらいの小さな子どもが相手だと、「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば、、、」がより大切だからだろう、と想像します。

中学校の先生は生徒の自立を促す

小学校の先生による手厚いバックアップ体制を目にすると、中学校に入った途端、中学生は何でも自分でやるよう促されているように感じてしまうことがあります。私の故郷・福井県では、橋本左内にちなんだ「立志式」が中学2年の時に行われます。15の春は自立の時ということで、学校も、生徒の「先生離れ」を後押ししているのでしょう。

確かに、手取り足取りサポートすることは徐々に減らしていくのがよいでしょう。一方で、論理的で理路整然とした思考や話し方という点では、生徒はまだ助けを必要とする段階のはずです。話し相手になって、考える上でのヌケモレに生徒自ら気付くような促しをしたり、頭の中の整理を手伝ったりということが、中学生あたりからは益々有効になってきます。これも、わざわざ専門家の手を煩わさなくても、周りの大人の「普通の感覚」で充分事足りることのはずです。同時に、大人は、生徒同士の話し合いを促すことにも取り組みたいものです。議論や会議の進め方、エビデンスに基づく対話の大切さや実施の際の心構えなどに習熟した大人のニーズが、今後、より高まってくると感じます。

10歳からわかる「まとめ」

・生徒から求められてもいないのに、大人が余計な段取りなど「おせっかい行動」を取り、生徒の成長の邪魔をするようなことは避けるべき。「専門家の紹介リクエスト」でそのような場面に出くわすことがある

・自分は探究をしたことがないと大人が思い込んでいるとビビリが生じる。腰を引かず、まずは生徒の取り組みを正面から受け止め、じっくり話を聞いてみることが大切

・生徒には、探究の進め方、議論や思考の方法について理解してもらうことが、探究テーマ分野の専門家による話の前に、まずは必要

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