「経験・情報・知識」と主張の違い
友達とのランチタイムでの他愛もない会話は「最近どう?」や「ねぇねぇ、聞いて、聞いて」「おい、知っているか?」という感じで始まるでしょうか。そこで披露される内容は主に最近の出来事や知ったばかりの情報で、それに対して話を聞く側は相槌を打ったり質問をしたり、知っていることを元に受け答えをしたり、ということを行っていることでしょう。いわば、経験、情報、知識の交換です。
時間が限られた昼休みに、お腹を満たしリフレッシュすることを最優先にするなら、ここで自身の主義主張を大上段から振りかざすような真似はせず、当たり障りのない会話に留めている場合が大半かと思います。意見を求められ答えることはもちろんあるでしょう。「あなたはどう思う?」に対して、「なんとなくだけど私はこう思う」と感想を述べる程度なら、意見とまでは呼べないかもしれませんが。
これに対し、はっきりした自分の考えという意味での意見や、より強い意味での主張となると、そこには根拠が必要になります。根拠なしではそれを聞く相手の納得・共感を得ることは難しいに違いないからです。奇跡的に百パーセント同意見でもない限り、相手からの「何故そう思うの?」にきちんと応えていく必要が出てきます。
そのように理由を組み立てていく際、何らかの情報を元にする場合もあるでしょう。しかし、この情報の取扱いは、実はあまり容易とはいえません。
情報は、情(なさ)けへの報(しら)せ
情報は「情(なさ)けへの報(しら)せ」と読み砕くことができます。感情に報せてくるもの、訴えてくるものという意味です。
情報という言葉は当初、フランス語の renseignement(ランセニュマン)という単語に充てられた漢字だといわれています。軍部で使用されていた用語で、敵の情勢に関する報せを指し、情の字は「敵情」の意味で採択されたようです。
その後、英語の information が日本に入ってきた際に、「情報」はそれへの訳語として定着したといわれます。知らせるの意の inform は、見ようによっては in と form に分解することができます。入ってきて形づくる、すなわち、受け取る人の心に入り込んで、ある感情を形づくるのが情報であると私自身は解釈しています。そうであれば、情報の価値を決めるのは受け手であるということになります。
確かに、同じものを目にしても、はっと何かを感じ取る人と、ふーん、へぇーと気の無い受け取りをする人がいて、受け流しをする人にとって提示されたものは情報ではなかったということなのでしょう。
以前、同僚の営業担当者から「先方には情報を全て渡してあるのに、なかなか決定を下してくれない」などのぼやきを聞くたびに、「それは渡したものが情報ではなかったからではないのか」とよくからかったものです。
先方の担当者とは意思疎通ができていて、渡したものは情報と呼べるものだったのかもしれません。しかし、その担当者が意思決定者である上司の説得を試みるため説明に使った時に、それが効果を発揮しなかった、その上司にとっては情報ではなかった、上司の説得には何か別の材料を揃えなくてはならなかった、ということだったのかもしれません。
情報というものは、それくらい「人を選ぶ」「主観的な」ものと覚悟すべきです。
情報に騙されるより怖い「先に心が騙されている」状態
情報については、別の観点からこんな指摘もできます。最近「情報に騙されるな」という注意喚起をよく耳にします。フェイクニュースの広がりを見れば、そのような警戒心を抱くのも無理はありません。
情報に騙されることを先程の論に沿って説明するなら、嘘まやかしの何かが受け手の感情に入り込んでしまい、それによって誤った判断を形づくってしまった状態と表現できます。
しかし、もう一方では、こんなことが心配になります。自身の感情、心が何かの先入観で満杯になり、そのまま閉ざされてしまっていて、「真実」や「正しいこと」が外から入る隙さえない状態を形づくってしまっている可能性です。悪い時代の教育などによる洗脳を思い浮かべる時、その恐れが全くないとは言い切れないと考えてしまいます。
エビデンスたらしめるのに必要なチェック過程
さて、では、主張の根拠は何に求めたらよいのでしょうか。それがエビデンスです。「根拠・論拠・証拠の訳がエビデンスなのだから、それは当たり前でしょ」とお叱りを受けそうですので補足します。
エビデンスと呼ぶに相応しいチェック過程を通り、それにパスしたものをエビデンスと呼びたいと私は考えているのです。主張を持つには下調べが必要になるでしょう。ものごとを正しく理解するための第一番目の作業です。
おそらく現代では、この思考のための材料の収集(註: 先程の議論を受けて、あえて「情報収集」という一般的に通用する言い方はここではしないことにします)は、インターネットを利用した検索で行うことがほとんどでしょう。検索結果に表示された複数の材料からどれかを選ぶにあたっては、まず、書かれた日付や出典の明示の有無、また、その出典(出所)の信頼度を勘案します。
例えば、個人のブログよりは大手メディア発信の記事等から順に読んでいくやり方を取ります。組織からの発信の場合、発信前に複数の人の目を通っていることや、そもそもいい加減な取材に基づく発信はしないはずと期待できるからです。簡単にいうと、これが先述の「チェック過程」の前半部分に当たります。
下調べでは、できるだけ多種多様な論点から書かれた資料を集めます。何点かをまとめて読んでみると、資料が示唆している内容によって分類が可能になるかもしれません。資料を読むうち、自分が納得できる考えが形成されつつあると感じたら、次は、反対意見の資料にも(再度)目を通します。その際には、納得できない部分について、論理的・理性的に反論しながら読んでいき、反対に自身の主張を固めていきます。主張については、少なくとも自身が思い付く範囲では論理的・理性的に反論できないものに仕上げます。これが「チェック過程」の後半部分です。
なお、感情的な反論しかできない「自分とは異なる主張」については、その理由がはっきりするまで手放さないようにします。いつか、分かり合えない理由が分かった時に安心してそれを手放しましょう。また、この段階では、出典の信頼度が劣ると思われる資料にも目を通し、独特で面白いと感じる視点等が見つかれば、それを取り入れてみるのも良いでしょう。
まずは関心のあるテーマについて自身の主張を持つ
そうして、根拠がしっかりしていると自認できる考えがまとまったら、それを自身の主張とします。どんな話題についても主張を持つようにすると疲れてしまうかもしれません。
欲求に基づく動機付け理論の研究者として有名なマレーの欲求リストによると、人間の28の社会的欲求の中には、支配と服従、攻撃と屈従のように明らかに対立するものも含まれます。主張したいもの、譲れないものと、そうでないものがあっても不思議ではありません。
まずは関心のあるテーマについて、友人や仲間とのディスカッションを楽しめるよう、主張を持つようにしてみましょう。
ちなみに、この Discussion の cussion は 打楽器を意味する Percussion の中にも見られ、意味は「叩く」です。主張は叩き台です。熱い議論の中で叩かれて磨かれる。切れ味鋭い主張はそうして完成に近づいていくものだと思います。
10歳からわかる「まとめ」
今後、エビデンス対話の実例を紹介するところでは、お子さんと主張の交換をしてもらえるようなテーマを選んでいきます。例えば、「小学生のスマホ利用は制限すべきか」のようによく議論にもなる馴染みのあるテーマです。それまではちょっと小難しい説明が続いてしまいますので、最後に、お子さんへの説明にも使えるまとめをつけることにします。
今週のまとめです。
- 主張とは自分の意見の中でも特に強いもの。みんなにわかってもらいたい考え
- それが正しいことをわかってもらうには理由をきちんと伝えることが必要。ただそう思うからでは、みんなは心から納得しない
- その時、説明に使うと便利なのがエビデンス
- 例えば、目の前の実験で言う通りの結果が出ればみんな信じてくれるはず。簡単にできないものは、他の人の「実験や証明」をインターネットなどで探し、それを使う
- 実験や証明には色々な種類とやり方がある。やり方が正しいか、やっている人のことは信用できるか。エビデンスを選ぶ時はその点を慎重にチェックする
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ジャートム株式会社 代表取締役
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