「論破」よりも建設的な対話の方が役立つワケ

エビデンスって何?

新型コロナウィルスが蔓延し始めた頃、テレビのワイドショーなどでエビデンスという言葉をよく耳にしました。「それを示すデータはあるのか」と言えば済むところで、データの代わりに一般には耳慣れないエビデンスという言葉が、何故か突如使われ始めたという印象を受けたものです。

実は私は前年の2019年6月に『エビデンス仕事術』というビジネス書を著しています。テレビ番組でコメンテーターがエビデンスという言葉を発する度に妙な緊張を覚えたのは、本のタイトルは編集者が決めてくれたもので、白状すると、私自身が当時使い慣れていた言葉というわけではなかったからです。私は普段は根拠という日本語でそれを表現していました。もっとも『根拠仕事術』では本のタイトルとしてはぱっとしませんから、さすが編集者さんと感心したものです。

エビデンスに日本語を充てるなら、証拠、根拠、論拠あたりを場面に応じて使い分けるのが良さそうです。科学の実験であれば「実験データに基づくエビデンス(証拠)が示す真実」などと表現できるでしょう。

実験は、手順書通りなら誰が行っても結果は変わりません。一方、消費者アンケートの結果から世相を読み解くような場合は「アンケート結果をエビデンス(論拠)とすれば、確からしい仮説はこちらの方だろう」のような少し頼りない表現にならざるを得ません。これは、アンケートに回答するのが人間だということに起因します。人間の答えはある程度しかあてに出来ません。朝令暮改という言葉があるように、同じ人に尋ねても気持ちの変化とともに回答も変化しがちなのです。

しかし、臨機応変に判断を改めることは人間の素晴らしい能力の一つですから、そのこと自体を攻めるわけにはいかないでしょう。それよりも、特にビジネスの場で避けるべきことは、何の根拠もなしに発言し場を混乱させることです。会議では、参加者それぞれが根拠に基づく意見を持ち、ぶつけ合うべきです。時に納得合意の上で一方を取り下げたり、時に両者の意見を統合したりし、より高度で総合的な解決策を見つけることを目指さなくてはなりません。

双方向だからこそ対話になる

根拠に基づく主張の交換を行うことをEBD (Evidence-based Dialogue) =「エビデンス対話」と呼ぶことにします。対話ですから双方向のやり取りです。これを体得できると、日々の生活が一変する人も出てくるでしょう。

例えば、下記のような人々です。

  • しっかり準備したつもりなのに会議で自分の意見がなかなか採用されず、落ち込みがちな人
  • 提案は受け入れられるが実際は計画通りに事が運ばず、まわりからの信頼を無くしがちな人
  • 裏付けが乏しい発言で相手に「根拠レス」を突かれ、「論破」されてしまいがちな人

とはいえエビデンス対話の体得が目指すのは「論破王」になることではありません。大切なのは対話と、対話を経ての「昇華」です。ギリシャ哲学に起源を持ち、ヘーゲルにより定式化されたとされる弁証法のテーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ(定立・反定立・総合、もしくは正・反・合)を使いこなすという、いわば「理性ある市民としてのたしなみ」を身につけることです。

私は以前フランス系の企業に勤めていたのですが、フランスでは高等学校卒業資格であるバカロレアの試験に哲学の科目があります。試験前の一年間の学習で彼らはまさに上記の弁証法を身に付けます。おそらくその効果でしょう。会議でいつも彼らは、異なる意見の相手の主張にもしっかりと耳を傾け、そこから何かを学ぼうとする「大人の風格」を感じさせていたことが思い出されます。

10歳からわかってほしい理由

10歳からわかる!としたのには2つ理由があります。

1つ目は、子どもにもわかりやすい話を心がけてほしいとの思いからです。劇作家・井上ひさし氏は「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」との名言を残しています。エビデンスの上手な使い方が、きっとこの実現を手助けしてくれるはずです。
実際に小さなお子さんがいる場合は、ぜひお子さんへの説明で練習することを取り入れてみてください。お子さんがエビデンス対話の相手になってくれるなら、それはお子さんにとっても素晴らしい経験になります。

2つ目の理由は、2002年から小学校で「総合的な学習の時間」が始まり、2022年からは高等学校でも「総合的な探究の時間」が正式なカリキュラムとなっていることと関係します。小学校3・4年生から、この「総合」の時間が始まりますから、まさに10歳です。小中学校の学習指導要領には「主体的・対話的で深い学び」の言葉が示されています。

ということは、将来、あなたの部下や後輩として入社して来る若者の多くは、このエビデンス対話を身に付けている可能性が高いのです。自身は「受身・孤独な一夜漬」の受験対策メインの勉強しかしてこなかったとの自覚がある方は、一層努力してエビデンス対話に挑戦してみましょう。自宅にお子さんがいないという方は、積極的にまわりの若い人を練習相手に誘ってみましょう。

昨今、リカレント教育(大人の学び直し)の必要性が叫ばれますが、学び直しが必要な理由の一つは、今と昔では、学校で教わったり、生徒・児童が体験したりしている内容が異なることです。これからの世の中で必要とされる「新しいこと」をせっかく学校で学び体験してきても、社会に出たら先輩たちはそれに全く理解を示そうとしない。これでは文化は育ちません。大人は、子ども達がいま学んでいることをよく知り、自分でもそれを理解しようと努めなくてはなりません。

価値観が多様でボーダーレスな現代社会では、今後ますます自分と意見や主張が異なる人を数多く目にすることになるでしょう。そんな時、自分の主張の論拠をしっかりと示すエビデンス対話を通じてより多くの人々と分かり合えれば、充実した生活を送ることができるはずです。

仮に、どうしても分かり合えなかった場合でも、相手の論拠を知り得るエビデンス対話なら、何故分かり合えないかを分かり合えることはできます。少なくとも「見えない不安」に悩まされることからは解放されます。是非どんな場面でもエビデンス対話を心がけてください。

今後毎週水曜日に一本ずつ、順を追ってエビデンス対話体得のための方法を紹介する記事を投稿していきます。次週のテーマは「自分の主張を持つ」です。お楽しみに。

【旧:WEBマガジン・作家たちの電脳書斎 デジタルデン2023年3月1日公式掲載原稿 現:作家たちの電脳書斎デジタルデン 出版事業部 (https://digi-den.net/)】

第2回「自分の主張を持つために必要なエビデンスの集め方」を読む