前後の「探究」で学校行事をフル活用

体験「提供」に追われる学校

私の頃に比べると、最近の小学校には、教室で受ける授業以外の学習や行事が様々にあるようです。今はどの学校にもホームページがあります。そこに掲載されている日々の活動を見ると、頻繁に校外学習で近隣にフィールドワークに出かけたり、地域の人などが来校して地元の産業や伝統、新しいスポーツ等を教えてくれたりしている様子がうかがえます。また、私の頃にもあった、作物の栽培とその観察記録作業も行なっています。しかも、栽培で目指すのは、かつて地元で作られていた農作物の復活であるなど、対象の作物にも地域の特性を活かした工夫が加えられています。

これらの充実ぶりは羨ましい限りですが、教師も児童も次から次へとどこか追われている感じで取り組んでいることはないかと、やや心配にもなります。様々な体験を提供したいとの思いには頭が下がりますが、それが「色々と演出しなくては」というところにまで行き過ぎては、お互いも周りも疲れてしまうのではないでしょうか。

高校探究はテーマ設定を気にしすぎ

一方、高校の探究では、スタートにあたり、始める前のテーマ決めの段階で生徒が大いに悩む様子に、私はやや違和感を抱いています。極端にいえば、「小学校から授業でずっと様々な体験を用意してもらっていたのに、どうして、これには興味があったなぁくらいのものが簡単に頭に思い浮かばないのか」と言いたくなってしまうほどです。

高校探究でテーマが大切なのは、興味のないテーマだと一年間以上の長期間、それについて継続して追いかけるのが難しいからです。関心のないことに対しては自分なりの工夫を加えて深めていくようなことはおそらくできません。また、興味・関心があることでも、何も手を付けていない段階で本当に取り組むべきテーマに気付ける人など多くはいないともいえるでしょう。とにかく始めてみて、「こっちよりあっちかな」のようなことを感じながら少しずつ軌道修正するうちに、具体的なテーマが見えてくるのが普通です。 「せっかくだから、大学入試に有利に働くようなテーマを見つけよう」などという邪心が入ることもあるのでしょうか。そうだとすると、探究の目的を見誤っているといえます。

「どう立ち向かうか」を学ぶ

探究は、いわば、将来、「この場合はこうすればいい」という類の予め正解がわかったものではない新たな問題に出くわした時、諦めずに、自分たちで工夫しながら取り組み解決していこうという「立ち向かう気力の発揮・維持」の練習を、学生の間にしっかりしておこうとして行うものです。「試行錯誤を繰り返したが、最後はなんとかなった」という経験を、社会に出る前の学校にいるうちに数多く積んでおいて欲しいとの思いが込められています。

興味・関心を掘り下げる

そう考えると、小学校・中学校では、様々な方法で出会い学ぶ事柄に対して、事後、自分が感じたことをしっかり振り返ること、また、事前には学ぶ目的や計画をはっきりさせておくこと、という作業を漏れ無く実施することが大切といえるでしょう。

一つひとつのイベントを、ただ、次から次へと流してしまうのではなく、取り組む前には予想を立て、終わった後には予想とのズレについて理由を考えてみる、といった作業をきちんと時間を取って行えば、記憶・印象や学びが大きく変わってきます。

仮説と検証の繰り返しのようなことですが、仮説検証などというと、科学の世界では例えばこのようなことを連想するでしょうか。ある事象を説明するのに、目には見えないが、何か物質が存在するとでも仮定しない限り辻褄が合わない。したがって、その物質の存在を証明するのだと取り組む科学者の姿です。一方、ビジネスの世界で使われる仮説検証は、もっと単純なことを指します。予想したことを実際に確認してみる程度のことです。小学生の総合では、この「事前予想と答え合わせ・事後の確認」が、学習の定着に大きな意味を持ちます。探究では、なるべく多く、これを取り入れたいものです。

ビーチでのゴミ拾い

小学校の児童が近所のビーチに出かけてゴミの回収をし、そこから環境問題について考えるというイベントが、海開きを前にしたこの季節によく行われています。小さな親切運動と環境問題への意識付け、その一挙両得の企画という感じでしょうか。

その際、たとえば中学年であれば、このような投げかけを事前に行ってみてはどうでしょうか。

  • ビーチにはゴミは多いと思う? 少ないと思う?
  • 多いってどれくらい? 少ないってどれくらい?
  • 多いかどうかはどうやって計る? 数? 重さ? 大きさ・長さ? 厚さ?
  • ビーチ全体をまわるのは大変だけど、どの範囲でやってみる? 何メートル四方?
  • ゴミはビーチのどこに多いと思う? 海岸線近く? 海岸線から遠い方? 真ん中?
  • どんな種類のゴミがあると思う?
  • それらのゴミはどこから来たと思う? 遊んだ人が置いていったものだけ?
  • ゴミで迷惑がかかるのは誰? 他には?
  • ゴミの迷惑にはどんなことがある?

等々の投げかけに、それぞれ答えを予想し、予想の理由もあわせて考えてもらいます。

拾ってきたゴミを教室に持ち帰った後には、上記の質問に対する答え合わせをしながら、じっくりと振り返りを行います。事実を目にして、わかったこと、考えたこと、まだよくわからないこと等、なんでもいいので心にあることをノートに書き出します。ノートにどんなことを書いたか、一人ひとり発表します。次に、出てきた声について皆で話し合いをします。その際、意見や考えを否定することはしません。意見の違いはもちろんあって構いません。話したい人は、自分の意見について、そう思う理由を述べます。話し合いが大体終わったところで、もう一度、各自が今思っていることをノートに書き出します。最初書いたことと異なる意見が書いてあって構いません。クラスメートの話を聞いて、それも消化した上でわかったこと、考えたこと、まだ疑問に思っていること、などが書かれていれば充分です。それを家に帰った後に調べてもよし、その日のうちはそのままにしておいても構いません。

自分オリジナル探究ノート

このノートは、1年を通してずっと手元に置き、新しい学びや出会いがあるたびに同じような流れで自分の内面を書き留めていきます。時折ノートを見返すと、力が入っている項目とそうでもない項目、つまり自分の興味・関心がどこにありそうかに自ずと気付くことになるはずです。また、時を置くと、今ならわかるということも出てくることでしょう。その時は、それを日付ととともに書き足しておきます。

最近何かノートに書き足したことがある人に定期的に発表してもらうようなことを、総合の時間を利用して時折やってみるのも面白いでしょう。ある子どもの気付きが、別の子どもの気付きに役立つことがあるからです。

探究は流れ作業ではできません。どう生まれるか予測が難しい「偶然の連鎖」を期待しつつ、行きつ戻りつしながら進めてみようとすることが大切です。歩みはゆっくりでいいのです。

10歳からわかる「まとめ」

・最近の小学校は子ども達へ様々な体験を提供しようと一生懸命になり過ぎてはいまいか

・高校生の一定数が、探究の時間に取り組みたいテーマ・興味を感じるテーマがなかなか浮かばないと聞くと、実際には小学校から様々な体験を積んでいることが活かされていないのではないかと疑わざるを得ない

・学校での一つひとつのイベントの前後に、丁寧な準備・計画と、しっかりとした振り返りを組み込むことが大切。事前予想を実際に確認し、そのズレの原因をよく考えるという作業を行うとよい

・その様子を自分オリジナルの探究ノートに書き留めて、それを時折、見直す習慣を付けると自分の内面の振り返りに有効であろう。探究はそのようにゆっくりと進めたい

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