ふるさと教育と地域探究

ふるさと教育

文科省のホームページには、2010(平成22)年10月の資料として、「学校教育共通実践課題 ふるさと教育の推進 ―心の教育の充実・発展を目指して―」が掲載されています。

【参照】 「学校教育共通実践課題 ふるさと教育の推進 ―心の教育の充実・発展を目指して―」

そこには、「ふるさと教育は、人間としてのよりよい生き方を求めて昭和61年度から取り組んできた『心の教育』の充実・発展を目指したものであり、平成5年度より学校教育共通実践課題として推進してきている」とあります。また、ふるさと教育の狙いを、「ふるさと教育は、幼児児童生徒が郷土の自然や人間、社会、文化、産業等と触れ合う機会を充実させ、そこで得た感動体験を重視することによって、(1)ふるさとの良さの発見、(2)ふるさとへの愛着心の醸成、(3)ふるさとに生きる意欲の喚起、を目指すものである」と説明しています。

「生きる力」

文科省は、「生きる力」を知・徳・体にわたるものと捉え、それを子供たち一人ひとりの中にバランス良く育むことを目指しています。知は確かな学力、徳は豊かな人間性、体は健康・体力ですから、ふるさと教育が「心の教育」から発しているなら、それは、徳の関連からの生きる力の側面が強いと捉えることができるのでしょう。

一方、「確かな学力」を通しての生きる力の育成ということでは、「主体的・対話的で、深い学び」の下、自ら課題を見つける、自ら学ぶ、自ら考える、議論する、よりよく問題を解決する等のことが大切にされています。そして、それを現在、探究的アプローチの習得を通して実現しようとしています。 この点で、ふるさと教育を地域探究に繋げていこうとする際には、ふるさとについて、まずは「(教えてもらって)知り始める」から「自分からもっとよく知ろうとする」へ、そして、「(様々な視点から)見つめ直して考える」、また、「認められる問題については解決策を考案・提案し実行に移してみる」まで、子ども本人の意思を尊重しながら、いくつかの段階を経ることになることへの留意が必要です。

教育か学習か

まず、「ふるさと教育」から「ふるさと学習」へ、という点においては、幼児・児童に対しては当然「教育」の比重が重くなるでしょう。知らないことを知ってもらう、そのためにはある程度、教師やまわりの大人などが「こんなことがあるよ」と提示・教示することが必要になるからです。ふるさとの良さを教えてもらうことで、自信や誇り、愛着が生まれることに繋がり、それが、自ら学ぶ「学習」に向かう際の大きな推進力になると期待されます。中学生になる頃には、是非この自ら主体的に学ぶ学習の方に一歩踏み出しておいてもらいたいものです。

学習で「懐疑的見方」を身につける

学習において大切になるのは、多面的に物事を見る習慣を養うことです。教えてもらったひとつの見方に対して、よい意味で懐疑的になり、「本当にそれは良い面ばかりなのだろうか」と、鵜呑みにするばかりではない態度を持って学習にあたることです。もちろん、「本当にそれは悪い面ばかりなのだろうか」という見方も必要です。自身の中で「対話」する習慣を身に付ける機会にしましょう。

他者との対話を進める中では、自分の考えを「正」とした場合、それに対する「反」の意見を耳にすることがあります。その場合には相手の考えの根拠にしっかりと目を向けることが大切です。自身の意見の根拠と相手の意見の根拠を並べてみて、なるほどと思えば、両者の意見双方が立つ「合」を検討することになります。

様々な立場の人々がいることに目が向くと、良し悪しの判断を短絡的に下すことが出来ないことに気付くことでしょう。なぜ探究学習を行うのかの一つの理由にも繋がる、「多様性重視の視点」を養う良い機会にしてもらいたいものです。

学習で「自分の立ち位置」を決める

多様性を重視するあまり、自分自身の考えが「どっちつかず」になってしまってはいけません。子ども達にとって、この先の人生は、いわば「選択や決断の積み重ね」でしょう。どちらかを選んだり何かを決断したりすることを求められる場面が、次から次へと目の前に現れます。

先述の「合」がうまくいき、関係者全員が納得するような結論に達することができれば、大きな充実感を味わうことでしょう。しかし、そういうことばかりとは限りません。妥協の下、どちらに進むかを決めなくてはいけないこともあります。意見が対立する問題に対しては、お互いが根拠とする材料を明らかにした上で、「自身の立場」を明確にするところまで、探究学習ではしっかり進めて欲しいと思います。もちろんこれは、「現在の考え・判断に基づく」立場ですから、後々、立場が変わることを否定するものではありません。

小学校の総合でも、「何々がわかりました」というところから一歩進み、「何々がわかったので、それを活かして、次に私はこれをします」という一区切りの付け方を心がけてもらいたいと思います。それが、探究の螺旋に繋がります。

10歳からわかる「まとめ」

・ふるさと教育は、ふるさとの良さの発見、ふるさとへの愛着心の醸成、ふるさとに生きる意欲の喚起、を目指している

・小学校でのふるさと教育では、児童が主体的に進める「ふるさと学習」への道づくりまでは進めておきたい

・ふるさと学習を進めるにあたり、主体的な調べ学習に加えて、「懐疑的な見方」で多面的に物事を眺める習慣を付けたり、反対意見に対しても根拠を明確にして冷静に判断しようとする態度を持ったり、問題に対する自身の立場を明確にしたり、問題の解決策を考えたり、といったことを行えば、学習を地域探究にまで深めていくことができる

以下、余談です。

ふるさと創生事業と地方創生

「ふるさと」と聞くと私は「創生」という言葉を連想します。ちょうど「バブル景気」絶頂期に向かう頃、昭和から平成に代わる1988から89年にかけて政府が実施した、各市町村への1億円交付の振興事業(俗称: ふるさと創生1億円事業)のことを思い出すからです。ただ、この事業の正式名称が「自ら考え自ら行う地域づくり事業」であったことは当時知りませんでした。1億円の奇抜な使途ばかりが注目され、その後も時折その顛末が話題になってきたことが記憶に残っています。

「自ら考え自ら行う」が、その後、学校に導入された「総合」や「探究」の目指すところとなっていることは、この事業ともどこか関係があるのでしょうか。大人ができなかったので子ども達に期待を託したのでしょうか。さすがにそれは勘繰り過ぎだと思いたいものです。

地方創生は、2014年に施行された「まち・ひと・しごと創生法」とともに打ち出されています。こちらは国主導のバラマキ政策ではない点にこれまでと異なる特徴があり、各地方自治体が政策実施の主体者となって国の交付金措置を受け、地方での雇用や人流の創出といった、東京一極集中への対策を独自に施行するものです。「自ら考え自ら行う」は継承されていますから、大人の我々が、まず自身でそれに取り組まねばなりません。

アイデアが足りない分を子ども達に補ってもらうのも時にはありでしょう。しかし、最初から子ども達を当てにすることや、「総合や探究のテーマにちょうど良い」「子ども達に取り組ませればいいではないか」といった態度は避けたいものです。それに取り組むかどうかは子ども達自身の判断に任せなくてはなりません。

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